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■プロフィール
1985年東京外国語大学スペイン語科卒業。同年、横浜銀行入行、新宿支店配属。総合資金部、国際審査部等を経て、1994年から2年間、米国ダートマス大学TUCK経営大学院に企業派遣留学。1996年、英国Guinness Mahon Holdings出向。1998年、横浜銀行の取引先である丸興工業株式会社に出向し、米国現法準備室長、MRK USA, Inc.(丸興工業米国現法)VP。2000年6月横浜銀行退職以降、株式会社メンバーズ、株式会社アプリックスにてCFO。2003年オリックス株式会社投資銀行本部principal investment チームにターンアランウンドマネージャーとして参画し、株式会社フーズネット、ドリームインフィニティ株式会社、医療産業株式会社(現MICメディカル)の再建に関与。2005年オリックスを退職し、医療産業に入社。2006年8月株式会社MICメディカル(2007年11月JASDAQ上場)取締役副社長に就任し、現任に至る。


はじめは普通に支店での仕事をしていましたが、外語大学を出ていて英語ができるということで、本当はあまり関係ないんですが、当時は花形だった為替ディーラーになりました。でも全然向いていなくて、毎月大損ばかりこくものですから、半年で国際審査部に異動になりました。そこで担当になったのが、ラテンアメリカなどを中心とした途上国向け債権の回収です。
日本のバブルがはじける前で、“ソブリンもの”と称してましたけど、邦銀はメキシコやブラジルなどの発展途上国の政府・中央銀行などにお金を大量に貸してました。そもそもの発想が、「相手は資源豊富な国家なので、絶対に潰れないから返済してもらえるだろう」ということだったはずですが、その頃になると全然返ってこない・・・。今のようにはパソコンも自由に使えない頃ですから、手計算で未収利息の計算をしたり、資料を作ったりして地道に仕事をしました。そのうち、今でいう証券化の手法が生み出されて、それを背景に銀行の貸出し債権の売買マーケットができて、途上国の債務リストラクチャリングが進みました。横浜銀行では、僕が実質的にただ一人の対外的な窓口だったお陰で、全く事務は向いていなかったんですけども、5年間ほどその仕事に携わりました。その後、そのときの仕事が評価されてだと思いますが、社費でビジネススクールに派遣してもらいました。

MBA留学の2年間を終えて、当時横浜銀行が買収していた英国の古いマーチャンドバンクに出向しましたが、日本のバブルが弾けて、地銀である横浜銀行は国際業務どころではないということになって、当初は4〜5年くらいロンドン勤務の予定が、2年目には英国人社員にばれないように売却する仕事をしました。お陰さまで、南アフリカの銀行に無事売却できて、華やかなロンドン勤務も2年で帰国。日本に戻って転職しようかと思っていたときに、米国に進出する融資先から現時法人の立ち上げ要員の派遣要請があって、1年半ほどその会社およびサンディエゴ現法に出向しました。


ロンドン時代に関わった仕事で、AIMという新興市場を利用してベンチャー企業が株式上場していく世界を経験というか、ちょっと見たんです。日本では楽天なんかが頭角を現した頃で、僕もベンチャー企業に入ってストックオプションをもらって、大金持ちになろうと思ったわけですよ。MBAも持っているし、海外の経験もある、ベンチャー企業でバリバリ営業やって一旗挙げようと。でも、どこの会社も「38歳の銀行員なんだろう・・・」という感じで採用してくれないわけですよ。その中で唯一、銀行時代と変わらない給料で採用してくれたのがメンバーズという会社でした。メンバーズは、いわゆるネットベンチャー企業でホームページを作ったり、ネット広告を扱ったりしている会社で、当時は上場間近と言われてました。
ベンチャー企業に入って思ったのは、銀行っていうのは極めて事務的・官僚的というか、細かいことを必要以上に几帳面にやっているということ。一方、メンバーズのようなベンチャーでは、事務的には必要なことも全然やっていないような状態。僕の常識から見ても「これはひどい」と思うことが、他の社員からすると、「田村さんってやっぱり銀行の人だから細かいですよね」みたいな感じでなんです。営業は、与信審査が通らない会社にでも売ってきて・・・。「営業の仕事は売るだけじゃなくて、回収するまで!」って、極めて当たり前のことを説教すると、若い営業マンから殴られそうな雰囲気でした。
そして、上場後を見越してCFOとして入社したはずでしたが、数ヶ月でネットバブルが弾けて、リストラモードに入っていくんです。自分たちがつくったばかりの子会社を清算したり、売却したり、上場なんてもちろんできなくて、何とか会社を生き延びさせることに2年間くらい費やしました(でも、僕は全然貢献していないですが、一昨年無事上場したんですよ)。リストラもうまくやって、会社も潰れないという体制になったときに、このままでいいのか考えたんです。やりようによっては、ビジネスの拡大のチャンスもあったけれど、社長自身は自分の会社だから、自分が権力を失うような再編は嫌そうだったし…。まあ、今から思えば、社長の気持ちが分かっていなかったとも反省してますが、その頃は自分のこと、それも目先のことしか考えていなかった。他社との合併や大手に買収されれば、自分の経験にもチャンスにもなるけれど、そういうことは一切ないという雰囲気だったので辞めることにしました。でも、本当にいい経験をさせてもらったので、銀行を辞めるときに拾ってくれたメンバーズの社長には大変感謝しています。


幸か不幸か、ベンチャー企業2社のリストラ経験を買われて、自己投資による企業再生事業を本格的に始めたばかりのオリックスにデルタウィンの紹介で入社しました。再生事業の中で、フーズネットという関西の回転寿司チェーンの再生は印象的でしたね。土日だけ東京に帰って、平日は単身赴任でホテル住まい。社長も単身赴任だったので、四六時中一緒にいて、この人は誠心誠意会社をよくしたいんだという熱意を感じました。一方でオリックスには、実状も正しく把握せずに批判する人もいたりして・・・。そこで必死に社長を守りました。その社長は、会社経営や経理が詳しくないのに必死で勉強したり、自分を犠牲にして働く姿を目の当たりにして、この人を助けないといけないと思ったし、助けることにやりがいも感じたんです。「僕はオリックスの人間ですから・・・」という態度で関わっていたら、再建はうまくいかなかったと思います。それに、平日は24時間仕事に没頭できる環境も理想的でした。しかも、社長も僕を信頼して頼りにしてくれたし、見栄を張ることもなく、分からないことは教えてほしいという態度でしたから。勿論、僕も社長からたくさんのことを教わりました。この社長は、今でも大切な友人です。この時の経験が、僕にとって大きな転機になったと思いますね。

そしてもう1つ、現在の勤務しているMICメディカルの仕事です。オリックスが投資してから随分時間が経っていて、上場させるか、売却するか、その見定めのため、社長室長として派遣されました。徐々に上場ができそうな状況が見えてきて、セコイ話ですが、上場すれば社長には何億円という資産ができるけれど、僕の場合はオリックスからの数百万円程度のボーナスをもらえる程度だなと思うと・・・。なので、当社へ転籍することをオリックスに申し出て、3年ほど前にMICメディカルの社員となりました。オリックスを辞めた時点では、ある中堅証券を主幹事に上場準備を進めていたんですが、9割ほど上場審査が進んだ段階で、色々な事情があってその証券会社とは決別しました。上場はもう1年延期となり、それなら、(いろいろな議論はありますが)業界一位の野村証券に主幹事を代えて、より上場の基準の厳しいジャスダックを目指そうと賭けに出たわけです。運悪く当社のIPO実現が視野に入った頃は、IPO銘柄の公募価格割れが続いていて、証券会社の引き受け姿勢も慎重だったんですが、スタッフに恵まれたことと前年の公開準備のお陰で、野村証券の審査は比較的スムーズにクリアして、何とか去年JASDAQに上場させてもらえました。公開当日、野村証券の大きなトレーディングフロアにいるトレーダーが総立ちで、社長や私たちに拍手を送ってくれたシーンは一生忘れられません。


先ほども申し上げましたが、これはよく聞く話でオリックスだけの問題ではないと思いますが、本社(投資)側にいる社員は、現場の苦労を十分に理解してくれないということです。僕は、再生の現場に派遣されるターンアラウンドマネージャだったので、投資先の苦労が痛いほど分かりました。ただ、キチンと状況を説明(説得)できない僕のせいでもあったとも反省してますが…。再建のためのプランを考えるとか、人のリストラをするとかはそれほど苦労だとは思わなかったけど、そういった板ばさみ状態が辛かったですね。責任を押し付けあうのではなく、お互い、上場させるとか、業績をよくするとか、共通の目標は何なんだというところに立ち返ることが大切。本来の目的を達成するために、ブレが生じたときには戻すという役割ですね。


いろいろあるとは思いますが、僕の経験から言えるのは、環境を変えるということ。同じ環境で同じ会社で同じ仲間でやっていれば楽だけど、長年同じ会社にいると、色々な会社を見ている人と差が出ます。環境変化を恐れてはいけないと言いたいですね。
それから、もう一つは、普段から仕事をするときやTVを見たり新聞を読むときなどに、その背景や考え方を理解しようと務めることです。今すぐ自分の環境には関係ないだろうと思っていても、どんな知識でも役に立つことがありますから。そのいい例が最近ありました。最近のことですが、サッカーJリーグの新聞記事で、審判が試合中に「しね」と発言をしたことが問題になったことがあったんです。その記事の説明では、福井弁で「しね」というのは「しなさい」という意味で、「早くしね」と言えば「早くしなさい」っていう意味だとか。これも極最近ですが、うちの会社の研修担当が福井出身で、何度も注意した新入社員に対して「しね」と言ったっていうんです。まわりも青ざめて、言われた本人も、「死ねって言われた・・・」とショックを受けてしまって。研修担当者が、福井弁の「しね」を説明しても言い訳ととって、上司は信用しない。その担当者が辞める辞めないという話にまで発展しました。でも僕は、「必ずしもそれは言い訳ではないですよ。最近、こんなことがありましたから」と彼の上司にJリーグの件を説明しました。そうすることで、この件が収まり、スポーツ新聞の記事も役に立つなと思った次第です。ちょっとこじ付け気味ですが、色々なことが会社経営につながるということです。


CFOというのは日本の企業の感覚でいう管理部長、経理部長の殻をやぶらないと本当のCFOじゃないですよ。よいCFOというのがあるなら、自分の職責を限定しない、目的は何だということに立ち返って、問題の解決や提案ができる人だと思います。誤解を恐れずに言うならば、リスクがあるからダメの一点張りではなくて、例えば、将来1億円の売掛金が回収できないリスクがあるけれど、今1億円の売り上げを優先すべきという事情があるならば、なんとかしてその売上を実現する手立てを必死に考えることが求められると思いますね。当たり前のことに聞こえるかもしれませんが、そうはしてないCFOが多いじゃないでしょうか。最近になって自分でも考えるんですが、自分が社長ならそういうCFOを心底頼りにはしないだろうなと。過去の自分を振り返っても、大いに反省しています。