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浦勇 和也氏

■プロフィール
1957年生まれ。京都大学法学部卒業。1981年住友銀行入行。シカゴ支店ストラクチャードファイナンス係長や人事部企画第二係長を経験。1993年スイス・ユニオン銀行へ。1997年メリルリンチ証券に入社し、東京支店審査部長を経験したあと、中部関西法人統括部長として中部地区、関西地区の事業法人、金融法人向けの営業を統括。2002年アドジーン(現、G&Gサイエンス)に入社し、財務責任者(CFO)、執行責任者(COO)として活躍。2004年新銀行東京の立ち上げに従事。その後、2005年から2年間弱、三洋電機で再建のためのプロジェクトに携わる。その後アセットインベスターズの取締役副社長に就任(現任)


 住友銀行では、国内勤務で商業銀行業務全般、海外勤務では主にストラクチャードファイナンスといわれる分野を担当しました。その後転職し、スイス・ユニオン銀行、メリルリンチ証券と証券業務に関わりました。金融の世界ではさまざまな分野を担当させて頂いたと思います。外資系金融機関ならではのデリバティブ取引、特に信用リスクを中心としたリスク管理に携わったことにも感謝しています。
 これらの業務に携わる中で印象に残っているのは、住友銀行勤務の当時、アメリカで、当時はまだ新しい分野であった航空機ファイナンスや、携帯電話の走りとなったような新興企業に、日本の銀行ではじめてかなり大型の融資を実行したことです。
 また、住友銀行でアメリカから東京へ戻った後、日本の金融機関で第一号の大掛かりな人事制度の改革のチームに参加させていただけたことも非常に勉強になりました。
 最初の外資系企業勤務となったスイス・ユニオン銀行では、当時まだ脚光を浴びつつある段階のデリバティブ取引に、リスク管理という面から関わり、商品自体、それから日本に比べて進んでいるといわれていたリスク管理について、チームの主要メンバーとして大いに学びました。
 メリルリンチ証券では、名古屋、大阪という東京から離れた場所で、必ずしも外資系企業取引に慣れていないお客様との信頼関係づくりを担うことができたことがとても印象深い経験となっています。


 小さなバイオベンチャーでしたので、経理の基本的な業務、たとえば銀行で社員の給料の振込みをする、コンピューターソフトの経理システムで伝票を作る、といったことから、ベンチャーキャピタルとの間で色々と議論をして、資本政策、資金調達を実行するということまで幅広く担当しました。他には人事、株主総会、展示会の資料作りなど、総務・人事・IRなどの全般を行いました。
 ちなみに、今デルタウィンCFOパートナーズには「ベンチャーCFOクラブ」というものがありますが、ベンチャーという組織では全てを要求される分、全てが学べる場所だと思います。勉強のためにベンチャー勤務というのは本末転倒ですが、本当にベンチャー企業のために役立とうと思ってくる人には、頑張った分にプレミアムがついて勉強になる場所だと思います。


 相手会社が技術の見極めのために、説明会に大学の先生方を3人連れてこられました。文科系のバックグラウンドの私が、その場で実験装置を動かして、結果を解析、それからスライドを30枚ほど英語で説明しました。かなり専門的なメカニズムの解説を私一人でやったのですが、結論としては先生方から推薦するという結論を出していただけて、ライセンス契約を締結して頂きました。これは非常に達成感を感じることができたエピソードです。終わった後、先方の女性教授(かなりの韓流美人でした)から、「あなた、本当はバイオの専門家ではないのでしょう?」と言われたのがとても懐かしい思い出です。


 担当範囲は、人事、総務、経理、財務、IR、リスク管理、企画で、CFOの職務全般です。
 事業立ち上げの場合、「本当は50人で分担する幅広い仕事の分野を10人で手分けしてやらなければならない」という状況なので、みんなで助け合うことが重要です。そういう状況をモチベーションと感じてもらえるようにすることがCFOとして最大の責務だと思います。
 あとは想定の範囲外のことがどんどん起こりますから、少なくともCFOは何事にも動じないという「勇」が、またスタッフは忙しい中、不慣れなこともこなしてくれているのだという思いやり、慈しみのような「仁」がとても大切だと思いますね。
 具体的な方法として、スタッフにモチベーション保ってもらうために心がけてきたことは、必ず対面で会話をすることでした。例え、エレベーターで降りる間の10秒しか話す時間がなくても、その10秒間、きちんと顔を合わせ、緊張感を持って接するようにしました。


 立ち上げ時には、個別の知識、ノウハウよりも、“マネージメント能力”というものが一番大事だと思います。チームがラグビーでいう「ワンフォアオール・オールフォーワン」のスピリットを持つように誘導することで、また、自らは失敗してもいいから、率先垂範すること。そして、とにかく分からないことを素直に聞く、聞きに行く勇気と体力だと思います。


 ファイナンシャル・エボリューション・プラン推進本部で業績の悪い部門の再建・再生に携わりました。


 新銀行東京の話で触れたように、立ち上げというのは気持ちの部分が大きいと思いますが、調子の悪い企業を再建・再生する際は、技術的なノウハウの占める割合が大きいと思います。なぜなら、「この会社はもう駄目だ」と役職員、会社全体が感じている中で、「いや、こうすればこの会社は良くなる」と納得してもらえるな説得力のある考え方を伝えなければならないからです。それには、2つの能力が必要だと思っています。1つは自分は投資家や資本・業務提携先の意見を代弁しているという権限、筋道をきちんと示せる力です。そしてもう1つは、なぜこの会社は良くなるのかというグランドデザインを描く力だと思います。もちろん、これは一個人ではなく、チームとしての組織的な力が必要なものです。


 三洋電機クレジットは上場会社であり、その会社自体の業績が不芳というのではなく、三洋電機グループの中でどのような位置付けと考えるかという課題でした。三洋電機クレジットは儲かっていましたので、株を売却すると売却益、現金は入ってくるけれども、売ってしまった後は連結では売り上げも減れば利益も減る、その中で果たしてどっちが得なのか判断が難しいところでした。
 もう1つのプロジェクトは、テレビ事業をどうするのかというものでした。三洋電機のテレビは昔からすごく有名で、ブラウン管テレビを中心に大きく展開していました。今でも海外では有力なブランドのひとつです。しかし日本を始めとした地域でテレビがどんどん薄型になっていく中、厳しい状況となりました。社内には成功体験はしっかりと残っています。ジョイントベンチャーを作って、リスクリターンを他の会社とうまく分担すればまだ続けられるんじゃないかということでプロジェクトが進められました。
 台湾のクオンタ・コンピュータ社と合意し、会社を立ち上げることになったのですが、双方が求める最善の落としどころに落ち着かせるのはなかなか大変なことでした。台湾は基本的には西洋的なところです。西洋的なロジックと徹底したコスト意識、そしてハードネゴシエーターですので、交渉ごとは優しくなかったですね。
 その中で、三洋電機としては、三洋電機全体の再建のためにこのプロジェクトをやっているということと、新しく立派な会社を作りたいということをどう整合させるかが鍵でした。今からブラウン管をやめて、液晶でシャープさんにに追いつくということは、計画自体、資金的な無理ですし、仮にお金があってもできないことだったと思います。では、どうやってブラウン管テレビで一定の事業を継続するのか・・・。日本では液晶しか売れないけれど、ロシア、インド、あるいはアメリカの中流家庭向けにはまだ売れるんじゃないか、というように、前向きな絵を描きつつも、新たな設備投資を必要としないプロジェクトに仕立てることを考えました。


 新規の事業の場合は、そもそも集まってくる人がみんな夢を持っていますし、またその夢を形にする術を知っている人もいます。この会社で全く新しいバイオの研究をするんだとか、この会社で今までなかったWEB広告の会社を作るんだとか、それらの想いをCFOがきちんと形にまとめていくことが必要です。もちろん、分からないこともあるでしょうから、恐れずに質問できる勇気と体力も求められます。
 他方、企業再建に立ち向かう場合は、みんなが夢を失くしているので、技術的に「この会社はこう良くなる」「お金はこのように作る」と明確に判断し、説得していくスキルがとても重用だと思います。またおそらくは人員削減も必要な状況でしょうから、どうやってやめるべき事業を見定めて、実際にやめるのか、人を減らしてといくかという計画が大事です。


 私は二つあると思います。1つは、なるべく早い時点で、自分がやりたいこと、好きな業種、業界を見つけることです。2つ目は、なるべく早い時点で、自分がやりたい業務、好きな専門分野を見つけることです。そのうちどちらかひとつでも、現在の職で達成できているのであれば、『石の上にも3年』、是非ともよく働いてよく学んで下さい。もし不幸にして現在は、業界の点でも、業務の点でも不向きな職についていると思うのであれば、方向転換するための計画をしっかりと立てて下さい。手抜きをせずによく働きながらも、なんとか空き時間を見つけて、方向転換のための学びの時間も確保して下さい。